「バラの画家」ルドゥーテの生涯

バラの画家として知られるルドゥーテをご紹介します。

 

 

こんにちは、画家のたくみです。

ここ数年、いえ十数年でしょうか、
ボタニカルアート が人気ですね。

ボタニカルアートとは植物画を
描くことなのですが、そこには

やはり幾つかの定義(ルール)も
存在しています。

・ 実物大で描く
・ 植物の形態を変えずそのまま描く
・ 鉢や花瓶などの人工の物体を描かない
・ 背景は描かない

 

という感じなのですが、
よくよく考えると植物をそのまま描く
だけでいいんですね。

ただ、
そのまま描くということが実は難しく、
花びら一枚一枚や葉の葉脈も

一本一本表現することが求められ、
初心者にはハードルが高めの趣味(?)

とも言われています。

 参考☆ステップアップ講座 
ボタニカルアート
「オレンジのバラ」こちら

 

そんなボタニカルアートですが、
植物画の大家として今でも人気の
ある画家がいます。

それが今回ご紹介する
ピエール・ジョセフ・ルドゥーテ です。

ルドゥーテは18世紀後半から
19世紀初めに活躍した植物学者
であり宮廷画家です。


ピエール・ジョセフ・ルドゥーテ (1759-1840)
鉛筆画:拓己

 

ピエール・ジョセフ・ルドゥーテは
1759年、
ベルギー(旧フランス領)に生まれます。

父親は宗教画など手掛ける職業画家で、
ルドゥーテも父の仕事を手伝いました。

父の死後、
パリに出て兄のもとで画の手伝いを
していましたが、植物学者のレリティエ
と出会い、その縁がもとでルイ16世の

王妃マリー・アントワネットに短期間
ですが宮廷画家として仕えます。

 

しかし当時のフランスは
歴史的な激動の時代でした。

世にいうバスティーユ牢獄襲撃を
発端としたフランス革命が起こり、
ルイ王朝は途絶えます。



そして台頭してきたのがナポレオン1世
(ナポレオン・ボナパルト)でした。

1804年ナポレオンは皇帝に即位
―― この時ルドゥーテは45歳。

彼はどのようにその混迷する世情を
眺めていたのでしょう・・・




そんな彼に転機が訪れます。



ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌ
パリ近郊のマルメゾン城に植物庭園を造り

世界中の希少な植物を収集し
栽培し始めるのです。

(この事実は晩年のマリー・アントワネットが
プチトリアノンで植物園を作った

 エピソードにも似て興味深いですね)

ルドゥーテはそうした事情を知り、
ジョゼフィーヌにバラ園で植物画を

描くことを
許されます。

その後、傑作とされる「バラ図譜」
ジョゼフィーヌの病死という
苦難を乗り越え完成されました。

 

晩年は自然史博物館で画家として
講師として活動しますが、元来の
浪費家だった
といわれる彼の暮らしは
苦しいものだったようです。

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晩年の様子は切ない感じではありますが、
ボタニカルアートの最高峰とされる
ルドゥーテ。

現在でもバラ図譜をはじめとする
彼の多くの作品は植物学的にも非常に
貴重で、
アートとしても大変素晴らしい
植物画として後世へ愛され続けて
いくことでしょう。

      ―― 拓 己